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余白こそ新しいことを生み出す貴重な時間。余白がなくなったら生産性が落ちた

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こんにちは!スペイン在住のmikaです。

この3ヶ月間は、新しいことをインプットする勉強期間に当てていました。

大量の情報を頭に入れ込んでいる時期によく感じるんですが、インプットしすぎて逆に頭がこんがらがったなんてことありませんか?

頭の中がモヤモヤした何かで覆われているようで、いつもの自分より動きの鈍さを感じる。インプットしてるんだけど全部がすんなり入ってこないというか、インプットが多すぎて噛み砕けていないような、そんな感覚。感じたことありません?

私はそんなモヤモヤすっきりしない日が長く続いたら、生産性が明らかに落ちました。新しいことだけでなくすべてのことに対して。少ないキャパシティーの中に詰め込みすぎたんでしょうが、明らかにうまく消化しきれていませんでした。

そんなモヤモヤから抜け出せたのは「余白」を作ったから。特に「時間の余白」は大事ですね。すべてはここに繋がっているような気がします。

詰まりすぎて余白がなくなったら生産性が落ちた

私が陥っていたのは、こんなスパイラル。

  • 新しいことに挑戦(勉強)
  • インプットしてもしてもうまく消化できない
  • 理解(前進)しようとインプットの量を増やす
  • さらに情報量が増えてもっと消化できない
  • 1つずつは理解できても全体に繋がっていかない
  • 理解が乏しいのは自分の能力が低いからだと思ってしまう
  • 軽く落ち込む
  • もっと調べてインプットするも消化できないまま
  • 自分の能力が乏しいとまた落ち込む
  • ここに時間がかかっているから他のことに手をまわす余裕がない
  • 全体的に生産性が落ちる

の繰り返し。アウトプットが最善のインプット方法だと言われていても、そもそもインプットした情報を消化しきれていなければアウトプットすることはできない。だって消化しきれていなんだもん。

そこでインプットを一時的に中断し、一息つく時間を作りました。といっても5分・10分ではありません。少しの期間だけ羽を伸ばす時間を作ったんです。一時休戦といったところでしょうか。

余白が大事。詰まってる時こそ時間に余裕を!

そんな悪循環なスパイラルの渦に巻かれて疲れたころ、少し距離を置いて一時休戦することにしました。

今まで後回しにしてきたことを巻き返すかのように、1つずつこなしていきました。家の掃除、手抜きからちょっとだけ手をかけた料理、愛犬と長めのお散歩、友人とのカフェタイム、ブログの更新などなど。

家がきれいになって、作った料理を夫が喜んでくれて、楽しいお散歩で愛犬ははしゃいでる。家族がハッピーだと私もうれしくなります。

モヤモヤが続いていたときは毎日しかめっ面をしていたようで、夫によく「大丈夫?」と声をかけられました。自分では気付いてませんでしたが、よっぽど酷い顔をしていたんだろうと思います。

気分が乗らない時は最低限で。あとは余白作りに励む!

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一時休戦するようになってから、鬱々としていた気分が少しずつ遠のいて心に晴れ間が見えてくるようになりました。生活の活力が湧いた感じというのでしょうか、やらなきゃいけないタスクは同じなのに、気持ち一つ違うだけで見えてくる景色がこんなにも違うんだ!って改めて気づきました。

休戦中、何か特別なことをしたわけではありません。自分の状態がどうであれ、やらなきゃいけないことは変わらずやってくる。それなら最低限だけこなして残りの予定は特に決めず、ひたすら余白作りに励みました。

「余白作り」っていうと聞こえはいいですが、ようはダラダラと過ごしただけです。ソファーでくつろいだり眠くなったらお昼寝したり。そんなぐうたら生活をしていたら、ふとした瞬間にアイデアが次々と浮かんでくるようになりました。

余白を作ったらアイデアがいろいろ浮かんできた!

ただのぐうたら生活を続けていたら、アイデアいっぱいのクリエイティブな時間に変わっていきました。

というと大げさですが、でも本当に、ソファーでゴロゴロしていただけなのにいろんな思考が次から次へと湧いてきて「こうしてみたらどうだろう?」「あの部分ってこういう意味なんだ!」と、ひらめくようになったんです。

モヤモヤしていた頭が少しずつ晴れてきて、インプットしすぎで混雑していた頭の中が交通整理されていく感じです。

そうなると、いてもたってもいられなくなって自然と体が次の行動をしたくなるんですね。消化しきれなかったインプット情報も少しずつ噛み砕けるようになって、頭に入っていく。時間はかかったけれど、ようやく次に移れる。

ぐうたらは決して無駄なんかじゃないんです。「急がば回れ」ですね。余白があってこそ新たなヒントや思考が生まれる。どんな時も余白作りを心がけることで、いい気づきを得られるようにしていたいものです。

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「海外へ出たい」と思っている方へ。その目的と覚悟はありますか?

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最近よく「海外へ出たい」というコメントを目にします。

Twitterでも誰かのブログでもいろんなところで目にするのは、私が海外に住んでいて「その状況にいる人」だからかもしれません。

「海外で活躍したい」とその目標に向けて努力している人には、純粋に応援したい気持ちになります。けれど、よく目にする海外移住したいコメントは「夢を実現するために海外へ」ではなく「日本が嫌だからとりあえず海外へ」といったものが多い気がします。

「日本ヤバイから今のうちに脱出しよ!」「こんな社会にもううんざり」「日本の未来が見えない」など自国を心配する気持ちを通り越して、日本という国へのネガティブ感情が元になっているような、そんな印象を受けました。

でも、その感情だけでいいのでしょうか・・・?

行きたいと思っているその国で「何がしたいの?」が一番大事なんじゃないのかな。

とりあえず海外っていうほど、海外生活は甘くない

私も思春期からの夢が「海外で生活すること」だったので、その淡い期待や膨らむ希望はよくわかります。日本以外の国で生活することは、その後の人生ひいてはその人の人間性にさえ影響を与えるかもしれない貴重な経験になるとも思ってます。

たしかな意思とその国で成し遂げたい目標がある人は、それが日本であろうと海外であろうと目標に向かって進んでいけるんだと思う。どこであろうと自分という軸がしっかりしている分、ブレにくいんだと思います。

一方、とりあえず海外っていう人は目標そのものが「とりあえず海外」なので目的が不明確。成し遂げたい目標もなく「日本ヤバイからどこか別のところへ」「とりあえず海外生活する」といった感じで中途半端。そんな意思でやっていけるほど海外生活は甘くはありません。そもそも、日本での生活だって「とりあえず」な心構えでは甘いですよね?

移住先で何をしたいのか、海外へ出ることの目的は明確ですか?

危機感の薄い日本人、その覚悟は?

今を生きる私たちには、ありがたいことに平和が前提にあります。

中東やアフリカの国々では今でも内紛や争いが起こり、政治や情勢が不安定な国もまだまだたくさんあります。でも、日本をはじめとする先進国では日常生活で「襲われる危険」を感じるシチュエーションってあまりありませんよね。

だから私たちには危険に対するアンテナというか、危機感そのものが薄れているような気がします。

ここでいう危機感とは、強盗がいきなり入ってきたり、事件に巻き込まれたりを言っているわけではありません。そんなことはどの国に住んでいても起こり得ることで、日本でも凶器を持った殺人犯はウロウロしているし、銃やナイフを振りかざす事件だって起きてます。

そうではなくて、日常生活の中でいつテロや爆発事件が起こるかもしれぬ危機感をもう少し真剣に考えたほうがいいのではないか、ということです。

テロや爆発事件はとなり合わせ

世界共通の日本のイメージというと「清潔」「安全」が最初に上がるのではないでしょうか。

会う外国人みんなにいつも聞いてみるんですが、大体の人はこの2つを上位にあげます。そのくらい世界に共通している認識といっても過言ではなさそうです。

それに対して他国はどうでしょう?

各国で起こった昨今のおびただしい事件は多くの方がニュースでご存知だと思います。そのニュースを見て、明日はわが身もしくは自分の家族が巻き込まれる危険性を身をもって感じるでしょうか。

私は現在スペインに住んでいますが、その前はフランスのニースに住んでいました。ニースの海岸でトラックが突撃し数十人の死者を出したというニュースは、記憶に新しく多くの方が目にされたと思います。

夫の家族・親戚はニースにいて、このニュースを見た瞬間、義理の両親や優しいおばあちゃんが頭をよぎりました。次の瞬間、時間も気にせず(夜中2時半でした)義理のお母さんに連絡していたくらい衝撃でした。

まさに、「私たちが毎日のように歩いていたあの場所で・・・まさか・・・」です。

家族が事件に巻き込まれても後悔しない覚悟

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パリ、ニース、ドイツ、トルコ、バングラデシュ、タイと、恐ろしい事件が多く続いています。どれも記憶に新しいものばかり。

これは「海外に住む」だけでなく旅先でも言えることですが、いつどこで事件に巻き込まれるかはわかりません。わからないからこそ普段の生活や行動を意識する必要があると思っています。私は一連のテロ事件を受けて日常的な行動を見直し、意識的に気をつけるではなく行動を変えました。

結局は自分の覚悟次第なのですが、極論で言うと「自分の決断した行動によって自分の一番大事な人を失う結果となっても後悔しない覚悟」があるかどうかなんだと思っています。

自分の身に何が起きたとしても自分で決めたことだから自身では後悔しないかもしれないけど、自分で決めた海外移住に家族を同伴させた結果、事件に巻き込まれて親愛の家族を失っても後悔しませんか?

目的と覚悟があるならどんどん海外へ

ここまで書いておいてなんですが、私は海外移住に反対しているわけではありません。むしろその逆で海外で挑戦してみたい人はどんどん国外へ出た方がいいと思っています。

でも、その決断に目的と覚悟があってこそ成し得るんじゃないかな、と考えています。

これから海外移住をしたいと思っている人、なんとなく海外に住んでみたいなと思っている人、もう一度考えてみてください。

海外に行って何をしたいのか、何が起きてもその事実を引き受ける覚悟はありますか?

日本同等の医療レベルは期待しない方がいい

ちなみに、家族連れで考えられてる方は現地の医療制度・衛生状況は入念にチェックした方がいいです。日本と同じ医療レベルや制度は求められませんし、衛生面で信頼できない病院もたくさんあります。

夫の友人(スペイン人)は仕事で東欧に半年、家族を連れて行きました。生後4ヶ月の赤ちゃん同伴でしたが、その国最高の医療機関へ行ってもスペイン同等の医療レベルは受けられず、食べ物や環境どれをとっても子どもにはよくないという事実が現地に行ってからわかり、引き受けていたその仕事を途中で断り1ヶ月で帰国してきました。

自分はどうにでもなるけれど、家族特に子どもは大事。家族への影響が大きいなら仕事を蹴ってでも移住を取りやめた彼の行動もわかる気がします。・・・が、そんな小さな赤ちゃん連れて行かないで自分一人で単身赴任すればよかったのに・・・と、どうしても突っ込みたくなるんですけどね。

さいごに

海外へ出たい夢を叶える前にもう一度だけ真剣に考えてみてください。これを明確に持っている方なら、きっと夢を実現できると私は思っています。

その国で成し遂げたい目的はありますか?
何が起きてもその事実を引き受ける覚悟はありますか?


 

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「夢は諦めなければ叶う」って半分信じてなかったけど、続けていたら本当に奇跡が起きた

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「諦めたらそこでおしまい」「夢を諦めない」

って、よく耳にする言葉ですよね。

どちらも「頑張ろう」という気持ちが強いときには背中を押してくれる言葉です。分かってはいるけれど、その「がんばる」ができない時には目ざとい言葉でもありました。私には。

頑張れば、諦めなければ夢は叶う。
なんて、ただの綺麗事じゃん・・・と、心が荒んでる時はそう思っていたり。

でも、そんな斜にかまえていた私にさえ、諦めずに続けていたら奇跡が起こり、今はその奇跡の中で生活をし、それが私の生活の「当たり前」となりました。

そう、一番大事だったのは「続けること」だったんです。

大事なのは「頑張る」じゃなく「続ける」ことだった

今思い返せば、大事なのは「頑張る」じゃなくて「続ける」ことだったんだと思います。

どんなに小さなことでも、コツコツと続けて積み上げていくからこそ基盤ができてその先が見えてくる。勉強でもスポーツでも仕事でも何でもそうなのかもしれません。

「才能」は逃げの言葉じゃない

私には勉強や運動の才能は一つもありません。

勉強:学年テストはいつも中盤。290人いる学年で156番とか。
運動:運動会の50m走などでは、6人中だいたい4位。

自分で書いておいてなんですが、微妙・・・。

特に何かが得意なわけでも苦手なわけでもなく、だいたいのことはだいたい普通にこなせるけれど際立った色がない。特徴も個性もなく、至ってフツー。そんな私には才能を持ち合わせてる人には到底かないません。

これを言うと「才能は努力の結果があってこそだ」という意見もあるかと思います。

たしかに、才能は努力によってより開花されることはありますし、天才だと言われてる人も努力あってこその結果だというのは理解しています。その部分は十分に尊敬していますし、見習いたいところです。

「才能」は「得意なこと」であって個性のひとつ

では、才能という言葉ではなく「得意なこと」と表現するとどうでしょう?

どんなに苦手なことでも、とてつもない努力を継続すれば普通レベルまでにはあげられるんじゃないかと思います。時間も労力もストレスも最大限かけて。でも、もともとそれを得意としている人が同じだけの努力をしたら・・・?

もともと得意(好き)なことだからそれに対する基盤がある(好きなことは興味があるから色々と調べてたりしてベースができてる)し、好きな時点でそのことに取り組む気持ちは前向きだから、努力をするのも苦にならなくないですか?しかも、そこの伸びしろは大きい。

その「得意なこと」「好きなこと」って誰もが持ってる「個性」の一つじゃないかと私は思っています。特別な才能でなくとも、私はこれが得意っていうのは才能のうちではないのかな・・・と。

取り柄のない私でも、好きだから挑戦してみたかった

30歳の誕生日を迎えたとき、区切りのいいこの数字を思い出深いものにするために「今までやりたくてもできなかったこと」に挑戦することにしました。

私には思春期の頃から海外への憧れがありました。その憧れがより強いイメージとなったきっかけは高校三年の選択授業、英会話でした。

先生はアメリカからのネイティブで英語のみ。勉強ができない私なのに先生の言っていることはなぜだか理解できて、そんな自分自信がとてもうれしかったのを覚えています。これが大きなきっかけとなり「世界中の人と話してみたい」と思うようになりました。

とはいえ、文法はめっきり苦手だった私の英語力なんて中学一年生レベルがいいところ。こんな大きいこと言ったら笑われてしまうような恥ずかしいレベルでした。

だから人には言わず「一人キャンペーン」的なノリで、ひとりでこっそりと始めたんです。

「やめない」を続けていたら奇跡が起きた

中学一年生レベルの単語を復習することから始めた私は、長〜い道のりを辿ります。

勉強ができない私にとって、英語の文法って眠くなるおまじないみたいなものでしたから。途中くじけながらも自分でできることを地道に少しずつ、亀のようなのろさだけどやめないで続けていきました。

数年後、目指したい姿に近づくために仕事も変えました。プライベートでは英語ネイティブの外国人と友達になったりと、自然に出会う人が変わっていきました。

自分が変われば環境が変わる

よく言われていることだとは思いますが、「自分が変われば環境が変わる」って本当なんですね。前職の企業スローガンも言葉は違うけれど同じ意味を持っていて、諦めそうになった時はよくその言葉を思い出していました。

そんなことを続けていくうちに偶然いまの夫と出会いました。それがきっかけで私の人生に奇跡が起き、昔からの夢だった海外、旅行ではなく海外生活が現実のものとなったのです。

相手に与えられた機会だといわれればそれまでなんですが、自分の力で勝ち取ったものではないけれど、そういう環境を自分で作りだしたからこその出来事だったのかなって、今では思います。

諦めそうになってもやめない

語学の勉強って終わりがないんですよね。何度も諦めそうになったし、やる気が起きなかったこともしょっちゅう。スランプもいっぱいあったし今でも文法は苦手です。

でも、諦めそうなときにやめないでよかった。そこだけは昔の自分を褒めてあげたいです。

やる気がないときは無理してやらなくてもいい、と私は思います。無理してやっても頭に入らないし、そもそも無理をすることで目標としていることが嫌になったら意味がありませんから。

それでも、どんなに小さなことでもやめないことが大事なんだと思います。

やる気がない時は自分への逃げ道も大事

誰にだってやる気が出ない日はあります。きっと天才と呼ばれている人にも。

そんなとき私は無理に頑張ろうとせず、ぐうたらに続けます。単語帳をパラパラ眺めるだけ、1日1単語覚えるだけ、本を見たくない時は洋楽でリスニングするだけ、字幕なしで映画を見て楽しむだけ、など。

それが頭に入っているかいないかは別として、英語に毎日触れたっていう事実が大事だと私は思います。1日放棄すると次の日も気分が乗らなかったりで結局やらない、すると3日目もやる気が出ず気づくと1週間が経ってる・・・なんてことにならないよう。

あれだけ長い時間をかけて習慣づけたのにやらなくなる時は一瞬で「やらない習慣」ができてしまいます。それを防ぐためにも「頭に入っていなくとも毎日それに触れている」という既成事実?を作ってしまう方が私には合っていました。

勉強はしていないけれど英語には触れていたからいっか!と、やる気を失った自分への逃げ道を作るのも大事だなと思います。その逃げ道が長く続くならどこかで仕切り直さなきゃいけないけど、たまにやる気が出ないっていう日はそれでもいいんじゃないかと。

さいごに

小さなことも続けていれば夢やゴールへ一歩ずつ進んでいるということ。たとえそれがとても小さな一歩であっても、前に、目標に近づいていることを忘れないでいたいなと思います。

この記事が同じように何かに向けてがんばっている人の、ひとときの気晴らしになってくれたならとてもうれしいです。

私はというと、英語を勉強していたのになぜかスペインへ来ることになり、今はゼロからスペイン語を勉強中。これまた長ーい長い道のりになりそうです。